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海に還る〜プロローグ〜

この世界は誰が死んだか分かりにくくなりました。

 記者は案内され部屋に通された、一つの部屋を仕切りで三つに分けた簡素な相談室だ。

 その一つには既に取材相手が待っていた。

「お待ちしてました…私、音無弁護士事務所の音無と云います」

 物腰は低く記者には意外な印象だった、彼はその界隈では勝つためならどんな手も使うと有名な弁護士だと聞いていたからだ。

「こちらこそすいません、突然の取材で…」

 記者はすかさず謝罪した。

 かつては日本を騒がせた事件とは云えど快く取材を受けてもらえるとは思っていなかったからだ。

「ははは…いいんですよ、今更この事を取材したいなんて珍しくて笑いましたよ」

 音無は子供の様な笑顔を見せた、記者には当時に取材した記者達がこぞって彼を怖いと云っていた理由を少し理解した。

「早速ですがよろしいですか?」

 記者はボイスレコーダーをポケットから出して音無に見せた、音無は軽く頷くと語りだした。

「当時は死んで海水になる事が世間が受け入れ始めていたばっかりに衝撃でしたからね…不運にも押し入り強盗に入られ、母親は強姦され娘は殺された…まさに悲劇でしたね」

 音無は語り慣れているようだった。

「しかし、不運は続いた…私が弁護した木村陽一は自分の腕を切り落とした」

 記者は下調べをしていたがあらためて他人の口から聴くとなんとも言えない気持ちになった。

「身体から切り離した部位も海水になってしまう…部屋に指紋がべったりついてたにも関わらず木村の指紋だと立証出来なくなった…」

 音無は淡々と言葉を並べた。

「世間は腕を切り落とした事で証拠隠滅をはかった犯人と木村をそう呼びましたね…そして、私は彼を救った悪徳弁護士と云われました」

 木村陽一は長く続いた裁判で無罪となった…理由は証拠不十分だった事

「そして、木村陽一は被害者である町田さんと不倫関係にあった事で町田さんは一貫して核心の証言をしなかった…」

 記者はボイスレコーダーを切って一呼吸した。

「不倫などの事実はなく、木村陽一もただの窃盗でしかなかったからだ」

 音無は記者が放った言葉を聞いて悪魔の様に笑った。

「なにを云っているが分かりませんが町田さんは娘さんが転んで頭を打ったのに気付かなかっただけの可愛そうな母親ですよ…で、その話はどこで?」

 記者はこんな冷たい視線を向けられたのは初めての経験だった。

「いやはや…取材を続けていたら町田さん本人から…他言するつもりはありませんよ」

 止めたボイスレコーダーの電源を再度付けると記者は音無に云った。

「今度、確定出来ない事を前提に海水になった人の死を認定するまでの期間を八年にすると云いますが…手応えはありますか?」

 音無は面を食らったようだがすぐに嘘の笑顔を向けて綺麗事を語りだした。

「はい、これまでは不確定でも死亡届けが出されてましたからね…『しっかり真実を世間に見せる様に頑張りたい』ですね」

この世界は誰が死んだか分かりにくくなりました。

この世界は誰が死んだかを誰かが決めれる様になりました。